お知らせ

日本橋魚河岸の始まり

中沢新一先生です。

「森孫右衛門(まごえもん)一族は、漁のやり方にさまざまな工夫をこらしたので、白魚の漁獲量は、お城への納入量をはるかに超過して、増大していた。そこで森孫右衛門たちは、余りがでた分の白魚を、市中に市場を開いて販売したいと願い出た。それを機会に、白魚ばかりでなく、スズキやボラやヒラマサのような他の魚も、その市場で販売しようと考えた。

ただその計画に一つ問題があるとすると、江戸には彼ら以外にも、すでに魚の販売でなりわいを立てようと、小田原や房総などから多くの漁師や魚商人たちが、集まってきていた事である。そういう魚商人たちの開いた私設の生魚市場なら、日本橋小網町にもあって、けっこうなにぎわいを見せていた。そこは芝の漁民が開いた魚市場だったので、芝河岸の名で呼ばれていた。森孫右衛門たちは、そこに割り込んでいこうとしていたわけである。

こういうときこそ、将軍様の食する白魚を江戸城に独占納入している、御用商人であるという立場が、大いに効力を発揮した。芝の魚商人たちは、佃島漁民の進出に反対して、陳情を繰り返したが、とうとう撤退のやむなきにいたった。

そこを見計らって、森孫右衛門は日本橋道三河岸と当時呼ばれていた水路の脇に、白魚ならびに種々の雑魚を販売する魚市場を開いた。これが日本橋魚河岸の端緒である。」

  • Category:
  • Author:tsukiji-okami