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魚介は、貨幣である

一向宗が石山本願寺から撤退した後に、豊臣秀吉が大阪城に入ります。役人は、城の台所に新鮮な魚介類を収める仕組みを作るように、魚河岸の有力者に命じます。

中沢新一先生です。

「魚介の納入といっても、百姓が米で税を納めるのと、基本的には同じ考えであるから、たとえ極上品をお城に納入したからといって、信じられないほどの格安でなければならなかった。おまけに新年の挨拶には、鯛の尾頭付きの立派なのを、お歴々のもとに、お届けしなければならない。そのかわり、納入業者としてのお墨付きをもらって、商人仲間のうちで一頭地を抜くことはできる。京橋魚河岸は、一方では秀吉や茶々の住む大阪城や伏見城にむけて、もういっぽうでは庶民たちにむけて、二つの方向から魚河岸システムを構築する作業にとりかかった。」

魚介の納入は、米で税を納めるのと同じと考えると、貨幣としての働きをもっていたと想定できます。一方で庶民たちへの魚介の販売は、楽市楽座的な自由市場の始まりもあったと、この頃の様子を想像できます。

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  • Author:tsukiji-okami