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本能寺の変と佃島漁民

夏休み特別企画として、築地市場のご先祖様というべき佃島の漁民の秘密に迫って行きたいと思います。

1582年6月2日早朝。明智光秀の謀反によって織田信長が本能寺で討たれた時、徳川家康は大坂の堺にいました。5月に信長の安土城を訪れ、その帰りに堺で小旅行を楽しんでいる所でした。光秀側から見れば、信長の盟友である家康は標的です。しかも、居場所も三河の岡崎城への帰り道も光秀側に知られています。家康は、ここで三河とは逆の堺から兵庫県を回る作戦を立てます。しかし、大阪府の住吉区の神崎川で足留めを喰らいます。川を渡る船が無かったからです。ここに救世主の如く現れたのが、近くの佃島の森孫右衛門率いる漁民たちでした。佃島の漁民たちは、船で川を渡る助けをしただけでなく、道中食として小魚を煮た物を家康一行に与えます。お陰で、家康は無事に、岡崎城に戻ることができました。その後、関ヶ原の役、大坂夏の陣でも大活躍をして家康を助けます。この活躍により、家康が江戸幕府開府の際に、恩賞として隅田川にある石川島の近くの干潟を与え、そこに築島工事の完成後、佃島の漁民が移住し、故郷にちなみ佃島と名付けます。さらに、漁業権、魚の販売権を貰い現在の築地市場の礎となっていきます。

江戸の消費文化を一手に握った佃島の漁民達は、海民の風を江戸に流し、町民文化にも影響を与えて行きました。現在、築地市場の移転問題は、経済効率性だけで語られていますが、江戸時代から続く文化を守るという側面も考慮に入れて頂けたらと思います。

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  • Author:tsukiji-okami